沿 革
第1回講演&情報交換会の様子。
働き続けるために住みやすい市はどこかなど、関心のあるテーマに分かれて、情報交換をしました。
次男出産予定日の3日前に取材を受け、新聞にて会員募集。反響は大きく、すぐに会員は70名に。その後は年に1~2回、土曜の午後に講演&情報交換会を開催。ある時アットホームな会にしようと、自宅での開催にチャレンジしたが、マンションの下の階からの苦情により、一度きりで断念…。
情報交換会ではとても貴重な情報が飛び交っている。どこの市が保育所に入るのに有利とか…。こんな情報を会に出席できない人たちに伝えたい!とノウハウ集の発行を思い付く。輝く10人の女性を取り上げ、タイムスケジュールで生活を紹介。新聞各紙、NHKなどに取り上げられ、発行部数2,000部。1冊1冊の申し込みには熱い手紙が添えられていました。夜勤のある自衛隊の方、シングルマザーの方、夫の理解が得られずやむなく退職した方…。毎日30分だけ早起きしてお返事を書きました。上司が育児休暇を取得させてくれない、との手紙には、3年経てば上司は変わるとアドバイス。その後本当に3年で変わりました、辞めずによかった、とお礼の手紙をいただいたこともあります。同じ悩みをかかえている仲間がいることを知るだけで、みんな元気になっていくんだ、ということを知りました。
会に参加できない会員の方から、情報誌を発行してほしい、という声に応えて、月刊誌の発行を決意。しかしまったくの素人で、トラブル続出。執筆者や編集者に支えられ、何とか毎月乗り越えています。みんなで作り上げた、という感動は、仕事や子育てでは得られない貴重な体験だと思います。 そして、毎月読者の方々から寄せられる感想のFAXやメール。励ましのお便りを読むと、またがんばるぞ!とやる気が湧いてきます。情報誌の中では、ワーキングマザーの仕事・家庭・子育てについての悩みを掲載した「声&悩み」コーナーが好評です。
ホームページを早く作ってほしい、との声に応えて、念願のオープン。これもまったく素人の私。情報誌編集の土谷さんに支えられ、何とかオープンにたどりつく。インターネットを通じて、できるだけ多くのワーキングマザーに情報提供することが目的。月刊誌では悩みに対しての回答が1カ月後だったが、リアルタイムに悩みに対して仲間からコメントがもらえる場を提供したいと思っています。
創業まもない頃の社長の上田理恵子と副社長の丸岡八千。
依頼の電話にすぐに対応できるよう、昼食のお弁当は交替に飲み込むようにしていました。
17年間勤めた会社を退職し、思い切って起業しました。
7年間の会の活動の中で「子どもさんの急な発熱」で非常に困っているワーキングマザーの姿を多く見てきました。「こんな時、安心できるスタッフが自宅に来て子どもを見てくれたら、その間に出社し急いで仕事を片付けることができるのに」「病気の時にベビーシッターはちょっと不安で・・・」という切実な相談を受けてきました。
会としてこんな時、何もしてあげられないもどかしさを感じていました。ワーキングマザーに本当の意味でお役に立ちたいと会社設立を決意、創業いたしました。